とはずがたり

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1/13 Fuji Royal 3k焙煎機 故障
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朝、焙煎しようと、焙煎機を動かすと、なにか、いつもと違う異音がする。
火をとめ、点検。
モーターの音がおかしい。
しばらくして回し始めると今度は異音なし。
あれ、なおったかな、とまた火をつけ、釜を回していると、また、異音。
やはり、おかしいので、火を止め、焙煎機のスイッチを切る。

モーターがおかしいようなので、、モーターに詳しい思い当たる知り合いや友人の会社2ヵ所に電話して、修理できそうなところを捜す。
友人の会社というか、ポン友に電話すると、強烈な風邪声。
風邪で発熱して、ベッドのなか。事情を話すと、僕もよく知っているメインテナンス会社の職人社長なら、ということで、連絡してみようと、風邪でつぶれた声で応えてくれた。
後日、連絡がはいり、夕方メインテナンス会社(空調、プラント工事専門)のNさんが身に来てくれて、あ、モーターとベルトをあたらしいのと、交換しなくちゃということになり、とりあえず、ひと安心。
まだまだこの骨董品焙煎機、使っていけそう。

それとはべつに、いいきっかけで、最新式の焙煎機を、いろいろ調べ始めている。
富士珈機さんにも連絡とって、新型焙煎機の見積もりも送ってもらった。

焙煎豆はストックでなんとかいまのところまかなっている。
ぎゃくにいろんな新型の焙煎機を導入してある自家焙煎珈琲店をまわって、各店の豆を買ってきて、テイスティングしている日々。
焙煎機の最近の進化具合に驚きを隠せない琥珀爺です。
いろんなとこを観てまわっております。

この焙煎機ももちろん愛しておりますので、これからも使っていきますよ。
40年使っている焙煎機。
読書メモ 長田弘『幼年の色、人生の色』みすず書房2016年11月刊

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著者が生前、みずから選んだ至極のエッセー集。
うつくしい装丁も目をひく。
カバーの絵は三岸黄太郎。
見事な本だ。
各エッセーはいちど本になったものから取ってきてあるので、音楽レコードやCDなら、さしづめ、ベストアルバムといったところに近い。
いちばんはじめのエッセーが本のタイトルになった『幼年の色、人生の色』
詩人長田弘は幼い頃の記憶が「白い雲の列」みたいだと書くところからスタートする。
双子のおばあさんの記憶が三、四歳の記憶として詩人長田弘にあるのだが成人になって当事を知るものに訊くと、その路地にはおばあさんの家などなかったというのだ。
しかし、詩人の記憶には《双子のおばあさんの家はちゃんと路地にあり、きれいに洗って木目の透きでたその家の引き戸の玄関の前には、黄金色の草花の咲いた小さな鉢が、いつもそこだけ陽光を集めてならんでいる》のだと書く。
色鮮やかにある記憶。
あれは何なのだろう。
「一瞬の記憶の断片」なのだろうか。
それがかってに物語化するのだろうか。あざやかなのだ。
《幼い子どもだったころのことは、何一つ秩序だって覚えていない。或る情景、或る時間の、一瞬のイメージの断片だけが、不思議なあざやかさをたたえて、記憶のなかにのこっている。それらはたがいに結びつくことがないまま、一つ一つがいわば白い雲の列のように、記憶の青空に浮かんでいる。》
最後はつぎのように詩人はしめくくる。
そしてそこのところが、この本の底を流れる、あるモードのようなものなのだ。
美しく、素敵な色合いをした音楽のようなものだ。
《感情ではないと思う。過ぎてゆく時間は、そのときそのときの感情を消し去るが、そのときそのときの記憶に滲んでいる色合いは、いつまでものこる。そのときそのときじぶんをつつんでいた時間の色合いは、後になればなるほど、自分の人生の色として、記憶のなかにますますあざやかになる。世界が色として現れてのこるのが、わたしたちが人生とよぶものの相ではないのだろうか。》
長田弘さんは「少年」を描くのがうまい。彼のなかに小さなころの少年が棲んでいるのだ。

『ひそかな音に耳を澄ます』は静けさのなかにいると、「静けさよりもっと静かな、もっと微かな音が聴きとれる」と詩人は書く。
それが「文化」を作っていくものだ、と静かな口調で言う。

 

二章目は中国古典のはなし。
じつに詩人長田弘は中国古典に詳しい。
宋の時代、それまでの詩に対して新しい人生の見かたを宋の詩は書いたのだと詩人は書く。「ながい人生に、たいする多角な顧慮」がある、というのだ。
《悲哀を詩の重要な主題としてきた久しい習慣からの離脱が、宋詩をつくった》と詩人は考えている。


三章は、旅のはなし。
テキサス西部の荒れ野のジャッカロープのはなしとなる。架空、想像上の動物。
《小さな牝鹿のような角を生やした、幻のおおきな兎です。》
ボブ ディランに関する考察も鋭い。
優しさについて。
言葉について。
詩人はこう書く。
《大事なのは、歌ではない。歌がつくりだすものだ。歌は詩と音楽でできているけれども、結局、詩でも音楽でもないもの。言葉と楽譜でできているのではなくて、歌うこと、聴くことでできている。》
長田弘さんは二回もディランのコンサートに出掛けている。最初は初来日の武道館で。その37年あと、ゼップトーキョーで。
21世紀の「草の葉」ホイットマンについて書いたあとにこのディランのことを長田弘さんは書く。

というか、そう編集したのだ。だから、ディランの章のタイトルが『二十一世紀の草の葉』としている。
ゼップのスタンディングコンサートに老人である長田弘さんが出掛けていることもすごい。
好きなんだ。長田弘はボブディランが好きだったんだ。
そこには「優しさ」を感じとる長田弘さんがいたということ。
引用する。
《ディランについてもっとも語られないのは、このような優しさです。今回のゼップトーキョーのディランを見て、聴いて、感じて、認めえたと思ったのは、歌のことばにではない。曲の響きに保護色のように秘められてあった、その見えない優しさのありかです。》

すごく楽しい読書時間だった。
そして、今回、詩人長田弘のエッセーのなかにこそ、ぎゃくに「見えない優しさのありか」があると思ったのだった。

僕が敬愛する詩人長田弘はもうこの世にはいない。

しかしながら、もうじき66歳となる僕のなかで、長田弘からたくさんいただいた至福の読書時間が、記憶としてあり、それが音楽のように流れたり、淡い色合いの中から鮮やかな色となって僕のなかに優しさのありかを形作っている。

ただそれが、どこ、なのかは僕にはわからない。

ありか、が、ある、ということをわかるような人生になってきたということだろう。

あ、こんなおじいさんになりたいな、としみじみ思う。

 

         琥珀爺 拝

ダグ レイニー レコードが復活した琥珀亭
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CDと本に埋もれていたレコードプレーヤーを復活させようと思っていたのが年末。
そろそろいろんなものを断捨離しないと、このままだと琥珀亭はモノ(ほとんどが本や新聞の切り抜き、映画のちらし)に埋もれてしまう、とおもったのだった。
昔の新聞切り抜きもだいぶ整理した。
そこで、プレーヤーの上に山積みになっていたCDを取り外して、プレーヤーをフキンで拭き取りはじめたら、まあ、きれいになること。
あ、アナログ音を聴きたいな、と思ったのだった。
そもそも、なんでCDばっかりになったかというと、ひとりで仕事する場面が多いし、手相観相四柱推命をテーブルで観ていると、アンプの所までいちいち戻ってレコードをちょこまか取り替えるのが面倒くさくなったから。
それが、前期高齢者になって、あ、も少しゆっくり仕事してもいいのかな、とあらたに達観した。
見ると、プレーヤーのなかにはレコードがターンテーブルに乗ったまま。
10年以上置き去りにしていたものが出てきた。
それがこれ。ダグ レイニー。
かけてみた。
すばらしいジャズギター。
あ、なにかが僕のなかで蘇った。
今年はジャズ生誕100年の年だそうだ。
アナログ音が店の空間に広がる。
あ、僕の人生、間違ってなかった、と瞬時におもった。
ダグ レイニー。
ピアノはデューク ジョーダン。
このレコードに「縁」があったということだろう。
くわえタバコのギタリスト、いなくなったな、こういうひと。
僕も煙草は吸わなくなって、はや7年。
ただ、こういう時代のかっこよさは、ありだった。
爺はそこを通り抜けて、いま、がある。
プレーヤーの復活でなんか人生、楽しくなってきたぞ。

   琥珀爺 拝
芝居 キャバレー
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松尾スズキ。ならば、まだ爺は未体験。
なので、行くことにした。
感想は、芝居を観たあとに書く。
新聞を開いていたら、ぱっと目についたので。
女優Nさんも、観てみたいのもあって。
縁ですね。
爺の演劇散歩。
1/4お年賀 名古屋の麸菓子。尾張大口屋『餡麸三喜羅アンプサンキラ』
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おいしかった。kくんから。
上品で、餅だと思ってたところが「麸」。
麸を使うのは京都と名古屋にしかないとか。
美味いものが好きな若者である。家には茶室があるというから、和菓子も好きなんだ。
柏餅のかしわの葉みたいなものが、じつは、ユリ科のつる性落葉低木、サルトリイバラの葉。
山帰来。サルトリイバラ。
山帰来の葉っぱの塩漬けの香りが、とっても上品でこころを落ち着かせてくれるのでした。
備忘録として、大口屋の住所をメモしておく。
愛知県江南市布袋町67番地。
初泳ぎ

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昨日の朝、ジムプールでしっかり泳ぎました。
ジムが年末年始の1週間休みで、まったく運動できず、2キロ重たくなっていました。
運動開始です。
筋トレは水のなかでゆるやかに。腹筋、背筋。
柔軟ストレッチもプールで浮力を活かして。
体を動かす日常に戻りました。
正月は毎年こんなふう。
サーフィンがいつ行けるかな。
焦らない年齢になっていますので、基礎トレーニングだけは欠かさないように。
いざ、スタート。

のどかな日差しの元旦。孫と。

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おせちも食べ終わり、夕方から北九州の実家へ行くまで時間があるので、爺はたっぷり孫たちと遊んでおりました。
男の子は、乗り物が大好きです。
近くのJR踏切の鐘がなると、すぐに踏切のほうへ電車を見に行こうとします。
道路へ飛び出さないようにこの孫から目が離せません
空を飛ぶヘリコプターの音もわかっていて、ヘリコプターの飛ぶ方角を目で追って走るときもあります。
駐車場で御姉ちゃんと自転車の奪い合いをしている最中にバスが来ました。

走ります。花壇のところで外へ出て行かないように爺は見張っておかなくてはなりません。

座ったらと言っても、座りません。

花壇のところに突っ立ったままです。

花壇のへりに腰掛けさせようとしてもいやいやをして腰をおろす気もないようです。

うちの前のバス停前に植えた花壇の花や芽を出してきつつある球根の観察はそっちのけで、弟のKZくんはバスに目が釘付けです。
バスの乗客が降りるのが済むと、バスさんは、しばし、ここでダイヤの調整時間に入ります。

バスのエンジンスイッチが切られて、静かになりました。
バスは停留所に停まったままです。
KZくんはニコニコしています。
見飽きることはないようです。
駐車場では弟のKZくんの邪魔が入らないので御姉ちゃんは三輪車で遊び続けています。
元旦のいいひとときです。

パパとママ、かみさんも駐車場の陽だまりへ出てきて、家族がそろいました。

パパはラジコンを引っぱり出していまから駐車場で遊ぶつもりです。

パパも子どもです。

孫達がいくつになるときまで爺として生きていれるのか孫たちとあそびながら考えていました。
なにか環境としてのいい影響を無意識のうちにこの子たちに与えられていたらいいな、などと日溜まりのなかで考えていました。

バスのエンジンがかかると、バスバスブーウーと言ってKZくんが手を振り始めました。

 

2017読書メモ。 若松英輔『言葉の贈り物』 亜紀書房 2016.11月25日 刊

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今年、おはつの読書は去年からの続き。若松英輔の新刊。
これはすごい、と思う文学者と僕は去年の半ばに出逢った。一瞬で虜になっていた。
『生きていくうえでかけがえのないこと』を読んだのが最初。
文学者の名前はずっと前に知ってはいた。だけど本とは出逢う所までいっていなかった。
じつは、twitterで彼をフォローしていたのだ。なんか不思議ないい呟き、しかもみょうに印象的だったのだろう。
そういうきっかけで名前は憶えていた。

百年に一度出逢えるか出逢えないかの文学者の出現の勘。
間違いなくその匂い。
川本三郎、中上健次、石牟礼道子、谷川健一、森敦、長田弘、ガルシア マルケス、親鸞、開高健、藤原新也、野呂邦暢。好きな文学者たちの共通点。
なにかいいあらわせない深いふかいかなしみが底にあって、それが秘められているコアを持っているひとの匂い。
ある意味どこか宗教的なものというより、祈りのようなもの、一縷の望みを希求するような言葉にならないものの匂いが分かっているひと。
まっさきに若松英輔に感じたものはそういうことだった。

さてさて、読書感想。
いい読書だった。
読みながら、僕のあたまのなかにも、個人的な思念がかたちになる以前のかたちで顕れてくる。
言葉の護符、それが最初は本のタイトルにしたかったんですよ、と去年暮れのキューブリックでのトークで文学者みずからが語られたところが印象的だった。
開いて最初の随想が「言葉の護符」
おまもりみたいな、いやおまもりのことばをさがしたり、逆に、贈りたいと思っているのだろう。
誰に?
自分に向けて、でもあり、そのじぶんが出逢った愛するひとたちへ。
引用する。
「言葉は、心の飢えを満たし、痛み続ける傷を癒す水となる。言葉は、消え入りそうな魂に命を与える尽きることなき炎にすらなる」
言葉に、つまり、ことの「葉っぱ」の話から、次の随想「根を探す」は見事に僕は惹き付けられてしまう。
薬草の会社もされている文学者の話はやはり薬草から入って言葉の「根」の話となる。
「内なる言葉」と彼は表現する「根」の話だ。
引用する。
「花や果実は、近くを通り過ぎる者たちに喜びを与えることも珍しくないが、根の存在は、ほとんどのひとに忘れられている。その姿も地味で、華麗でもない。昆虫たちも花の蜜を求めて集まってくる。果実をついばむ鳥たちによって、その植物の種子は遠くの場所に運ばれる。だが、根にはそうした出来事も起こらない。土のなかから地上部分を支えている。考えてみれば当たり前なのだが、根にふれることは、大地と深く交わった者にだけ許されている。大地に近づいて、手を動かしてみなければ根を感じることはできない」
見過ごしているもののことがここに書かれる。
言葉もふかいえもいわれぬふかみにきづかせてくれることばがあるということを知っているひとだ。そして、それはけっしてむずかしいことばでは、ない。
シモーヌ ヴェーユ 『重力と恩寵』がここで語られ、ちらりと出てくる。

ところがふっと、じぶんのこと、読書歴を思いだし、読みかけのままの本をとある文学者文芸評論家?に貸して戻してもらえないままそのひとはなくなってしまったのをここで思い出してしまった。

そのかたの顔も浮かぶのだが、そのかたがどうこうより、いまのじぶんには、「重力と恩寵」という言葉や本の記憶が大事な言葉として記憶されていたのがうれしかった。

たしか当時貴重本だったと思う、講談社文庫に「重力と恩寵」は入っていた。吉本隆明の評論にこの本は出てきたはずだ。

今はちくま学芸文庫に入っているらしい。本を手に取りたいものにとってありがたいことだ。

僕は「重力と恩寵」は読みかけのままだった。ほとんど読んでいないのに近い。


読んでいない本の話が「読まない本」という若松英輔さんの随想に書かれている。
若松英輔さんの父の話だ。
本に囲まれていたお父さんらしいのだ。お父さんが読んだ気配のない本もたくさん蔵書のなかにあって、でも、それは父が読んでいなくても、読みたかった本だから貴重なのだと考える若松英輔さんの思考法が面白かった。
引用する。
「人は、いつか読みたいと願いながら読むことができない本からも影響を受ける。そこに記されている内容からではない。その存在からである。私たちは、読めない本との間にも無言の対話を続けている。それは会い、話したいと願う人にも似て、その存在を遠くに感じながら、ふさわしい時機の到来を待っている」
この本、あるいはかれの他の著書を読んでいて、何度も出てくる柳宗悦の著書を今年は集中的に読みたいと思った。


備忘録としてメモ。
柳宗悦『南無阿弥陀仏 付心偈』岩波文庫
若松英輔の柳宗悦の引用をここに引用する。
《悲しさは共に悲しむ者がある時、ぬくもりを覚える。悲しむことは温めることである。悲しみを慰めるものはまた悲しみの情ではなかったか。悲しみは慈(イツクシ)みでありまた「愛(イトオシ)み」である。悲しみを持たぬ慈愛があろうか。それ故慈悲ともいう。仰いで大悲ともいう。古語では「愛し」を「かなし」と読み、更に「美し」という文字をさえ「かなし」と読んだ。》
誰かのエッセーで薦められた岡潔をこの本で若松英輔さんがまた引用していたのでこれも備忘録としてメモしておく。
岡潔
『一葉舟』角川ソフィア文庫
『春宵十話』角川ソフィア文庫

岡潔という数学者の文章を引用した若松英輔さんの「眼を開く」という随想が、あ、そうそう、それがまさしく本の愉しみだなと思った。わかる、その感覚!というやつだ。

何度も顔を変えてこっちへ語ってくる本というのがある。たとえば僕が今回この文章の上のほうで挙げた文学者たちの本がそうだ。

引用する。

《何度も読んでいるはずの文章が、あるとき、まったく新たな意味をおびて浮かび上がってくる。そうした時人は、一つの言葉にも容易にくみ尽くすことのできない意味の深みがあることを、まざまざと経験することになる。

すると同じ本でも、読むときの状況によってまったく異なる姿をして顕われてくることになる。今まで感じられていなかった言葉が、心の奥に届くような手応えをもって迫ってくる。今まで読めなかった言葉が、本から浮き出てくる。そうした読書の経験をした人は少なくないのではなかろうか。

文字は動かない。しかし意味は変貌する。読み手の人生が動いているからである》

元旦にこの文学者の「言葉の贈り物」の感想文をいまここで書いておかなくては、と思った。

人生は動いているから。

素敵な文学者の本との邂逅が至福であるからこそ、これからも、何度かその折々に読んでいく。

2017年元旦
     琥珀爺

 

12/27火曜日
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若松英輔トークショーの余韻にひたりつつ、年末でいろんな用事をこなす。
12/26 じぶんのなかで、記念すべき日。

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若松英輔新刊発売記念講演会へ行ってきた。
『言葉の贈り物』と題して、箱崎にあるブックスキューブリックさんで講演会というよりもっとざっくばらんなトークショーだった。
夕方5時に琥珀亭を出て、JR久留米いきのバスに間に合わず、急きょタクシーで。
駅からは快速電車で博多。普通に乗り換えて箱崎まで。
『ちいさな旅』は楽しい。
冬の暮れゆく車窓風景をながめ、ぼんやりと思念のたゆたいに心地よくなって、やがて箱崎駅についた。
あめがけっこう降っていた。
キューブリックの螺旋階段をあがり、二階のカフェのトークショー会場へ。